<ビジョン>

お酒を通して、人と人のつながりを深めるお手伝いをすること、「和のくに」に育まれてきた日本酒文化を守り伝える事が、久保田酒店の仕事です。
 五十年後、百年後、千年後も、美味しいお酒が造られ続け、お酒を楽しめる、和やかで美しい世の中「お酒天国」をめざして、邁進します。

<ミッション>

●お酒を通した心豊かなくらしの提案
 食材との相性や、適温での飲み方、健康的な飲み方など、美味しいお酒をより楽しんで頂けるような提案をします。また、四季折々の自然や伝統文化とお酒の文化をからめて、より心豊かな生活を提案します。

●心を伝えるお手伝い
 お世話になった方やご友人などに贈り物をされる際、先様に喜んで頂きたいという送り主様のお気持ちに寄りそいながら、お品選びをお手伝いします。

●品質管理の徹底
 造り手からお預かりしたお酒を、安心してより美味しく楽しんでいただけるよう低温・氷温で管理し、万全の品質保持体制でお届けします。

●酒蔵の思い、日本の田園風景を伝えます。
 お酒の背景にある、造り手の心や技についてお伝えします。また、酒造りの源である米や水を育くむ田園風景や里山を大切にします。

●人の和のなかに、いつもお酒があります。
 古来より、お酒は人の輪の中で、人の和を創ってきました。「和のくに」と呼ばれた日本の心を大切にし、お客様を始め久保田酒店に関わる方々の、「なごみの場、やすらぎの場」を創ります。

<久保田酒店の歴史>

久保田酒店は1914年(大正3年)に創業し、鯖江の地で百年余り酒屋を営んで参りました。

 もともとは旧・国高村髙木(現在の越前市高木町)で酒蔵を営み「見代の井」という銘の酒を造っていました。大正時代の後期に次男の久保田治一郎が分家して旧・国鉄鯖江駅前に移り住み、その子である治三郎と治作の兄弟が商売を始めたのが当店の起こりです。

 繊維産業などが盛んであり、交通の要衝でもあった場所である事。そして良い井戸水に恵まれていた事から、この地で創業したと思われます。

 髙木から出て来たという事で、当時は「髙木屋 久保田酒店」という屋号で商売をしておりました。当店に残る「通い徳利」にもその名が大きく書かれています。

まだ一升瓶がない時代でもあり、この通い徳利にお酒をいれて渡し、お客様はお酒が空になると、また徳利を持って来店されていました。

 第二次世界大戦前後は物資乏しい時代でもあり、日本酒も配給制となっていました。「清酒配給所」と書かれた看板が残っており、当時の大変さのなかで力強く生きていた人々の事を思わせます。